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摩文仁の丘から [日記]

 自転車とは全然関係のない話題です。



 今日は第2次世界大戦末期の沖縄戦が終了したとされる日でした。もう15年ほど前の事になりますが、日本軍の組織的戦闘が最後まで行われていた摩文仁の丘に作られた「平和の礎」を訪れたことが有ります。沖縄戦で亡くなった方々の名前が刻まれた石碑が立ち並んでいるのですが、その中には私の縁戚者の名前も幾つか有ります。

 太平洋戦争が始まった頃、アメリカ空母搭載機の構成は、戦闘機3割、急降下爆撃機3割、攻撃機3割、残りが偵察、捜索救難用機と言ったところでした。日本も似たり寄ったりです。

 これは一見バランスが取れていて結構なことに思えますが、実際には戦闘機の数が全く足りていません。戦闘機は艦隊防空と攻撃部隊のエスコートの両方に使用しなければならないからです。

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