快調!?正丸峠 [自転車]
今回、新たに導入したDURA-ACEホイールWH−7850SLの公道デビューに私はこの正丸・山伏の両峠を含むルートを選びました。10年振りの挑戦です。まぁ、挑戦という程大した事でもないのですが、大した事は無いと感じられる事自体、自分が成長した証でしょう。
という訳で4時に起床。いそいそと補給食を腹と背中に詰め込み、心拍計を巻き、わくわくしながら玄関を開けたら…
晴れてますよ!!
いやぁ良かった。今日(6月7日)は富士で知人が参加するヒルクライムの大会も有るしね。皆頑張ってね〜。
意気揚々と正丸峠に向けて出発。家の前が299号線と言っても良いくらいなので、そのまま道なりに北西進。10年前の記憶が朧げながらに蘇りま す。以前は299号線が飯能市街を縫うように抜けていて、通過するのに結構めんどうだったのが、今はバイパスでぐるりと回り込んで快適快適。前に寄ったコ ンビニがまだ無事に有ったりするとなんだか嬉しい。新しいホイールは路面と共鳴して軽やかな音を立てる。音質からも軽量であるというのがよく判る。が、判 るのはココまでで、よく自転車雑誌を読むとインプレッションに「踏み出しから確かな剛性感が…」とか「スピードが乗ってからの維持が…」とか色々書いてあ りますが、はっきり言って違いなんか殆ど判りません。言われてみればちょっと快適だったかな位です。
市街地を抜けた後の299号は以前より整備されて走り易くなっていますがダラダラと登る坂がなんか嫌な感じ。ガツッと登ってタラタラ降りるのが好みなのですが、コース自体がそうなので仕方有りません。
走り始めてから40分、最初の補給を採ります。背中からラップに包んだスティックパンを取り出し、ゴミを出さないように慎重にラップを剥いて口に入れる と、口中の水分が不足していて上手く食べられません。プチ失敗だなぁ、先に水を飲んでおくべきだったなぁと思いながら走り、さらに30分後、峠の手前で今 度はパワーバージェルを飲みました。しかしこのパワージェル、いくら私が甘い物好きだと言っても度を超しているような気がします。ピーナツクリームやチョ コクリームをそのまま食べているような感じで、「これ、パンにつけると丁度良いんじゃ?」と、思ってしまいます。それでもチュウチュウと全部飲みました。 高い物なので勿体無いというのも有るんですが、それよりこんな物を残したまま背中のポケットに戻したら大変な事になるからです。
いよいよ正丸トンネルに差し掛かろうとする時、立派な石碑が目に入りました。10年前にも有ったはずですが、その時に気がつかなかった物にこうして目が止まるのも年の功でしょうか。
「本邦帝王切開術発祥の地」とあるその石碑の説明文には概ね次のような事が書いてあります。
「ねぇねぇ聞いた?ココの奥さん、お腹を切って赤ちゃんを産んだそうよ」
「しかも麻酔無しですって」
どうやら当時、日本では帝王切開という手術は医療技術として確立していなかったようで、この1852年以降27年間実施される事は無かったそうです。 おそらく母子ともに命を失うくらいならせめて赤ん坊をとの判断がはたらいた上での決行だったのでしょう。幸いな事に母子ともに無事で、母親は88歳まで生 きたそうです。よかったよかった。
出産はそれを男性が経験した場合、6割は悶え死ぬと言われていますが、その上麻酔無しで下腹部スッパリやられたらどんな気分がするのでしょうか?いくらお金積まれてもやりたく有りませんね。「金太の大冒険」じゃあるまいし、想像するだけで冷や汗が出ます。
気を取り直して自転車を走らせ、正丸トンネル手前を以前と同様に右折して峠を目指します。ココで秘密兵器を投入!
「食らえ!リア28t攻撃!!…あ、あれ?」
意外な程にペダルが軽い。28tでは軽すぎる。すぐに24t、そして21tへとシフトアップ(このギアのつながりの悪さが使い難い。美ヶ原に使うつもり じゃなかったら絶対買ってません)、すぐに今走って来た299号線を見下ろす場所に差し掛かりました。100メートルちょっとしか進んでいないのに結構な 高低差です。
とっくに春は過ぎたのに、道端に立っている木から鶯の鳴き声。流石に此処まで山深くなって来ると全然人擦れしていないのか、驚くほど近く声が聞こえてきます。立ち止まって探せば姿も見られたのでしょうが、先を急ぎます。頭の中からは何故かカンタータが流れてきました。
始めて意図的に峠を登った時に感じたのですが、自転車で峠を上るのは、登山と同じく宗教的要素の強い行為だと思います、しかしこの時に流れているのは教会 カンタータではなくもっと世俗的な”カルミナブラーナ”の様な声楽曲で、そのリズムに乗ってペダルを回して登って行きました。
しかし、こ の正丸峠、ちょっとカタルシスに欠ける道です。ヤビツで言うなら蓑毛を過ぎて大日堂から浅間神社までの道をスケールダウンした感じでしょうか?(登った人 以外には判らない全然一般性の無い例えで申し訳有りません)以前の経験から恐れを抱いていましたが、全く大した事は有りません。周りの景色を見て「この時 期はあの”飲めない湧き水”は無いなあ」等と考えながら「正丸峠頂上」の看板が有る場所に到着。自転車を立てかけて記念撮影…
「ココは正丸峠頂上、奥村茶屋まではあと1km」じゃなくて「正丸峠頂上の奥村茶屋まであと1km」の看板
騙されました。
再び登坂開始。脳内再生の曲はいつの間にか「頑張れロボコン」のテーマソングに変わっています。2回程リフレインして本物の峠に到着。
刺されたら痛そうな虫がいっぱい こうして見るとタイヤサイドの青が全然マッチしてませんね。
コ コから快調に下って名栗元気プラザ前を通過、少し登ると山伏峠。ここでウィンドブレーカーを羽織り、有馬ダム方面へ。爽快な下りを満喫しつつ、「山伏峠は 南から登る方が自転車乗りとしては正しいんだな」と、近日中のトライを誓いつつ帰宅。走行距離88km、所要時間3時間44分(やっぱりこれ位は掛かる、 2時間半は無理)もうちょっと速くならないと駄目ですね。
「本邦帝王切開術発祥の地」まじめな解説
一八五二年(嘉永5年)六月十二日(旧暦四月二十五日)ここ本橋家で我が国最初の帝王切開術が行われた。
難産に苦しむ本橋みと(一八二〇〜一九〇八)の生命を救うため秩父郡大宮郷(現飯能市)の伊古田純道と秩父郡我野郷南川村(現飯能市)の岡部均平とが親族への説明と承諾の下に子宮切開術を実施して胎児を出し産婦も手術によく耐えて満八十八歳の長寿を全うした
鎖国下オランダ産科書の翻訳を頼りに日本で始めての開腹術しかも致命率の高かった帝王切開術を麻酔なしに成し遂げた事は正に奇跡的成功であった その後一八七九年(明治一二年)まで二十七年間本邦でこの手術が行われた記録は無い
伊古田純道の「子宮裁開術実記」の結びには西洋医術の成果に対する感動と確信が述べられている
術後百三十五年を経過した今日 本橋家の地内に記念碑を建ててその偉業をたたえる
一九八七年六月一二日
「帝王切開術発祥の地」記念会
日本医史学会
日本産科婦人科学会
埼玉県医師会
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